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僕の愛したバイクと車たち

              Bikes and Cars I loved

僕の愛したバイクと車たち

 このサイトは、昭和34年生まれの僕がこれまでに乗ったバイクと車の想い出を40歳の頃に綴ったものです。バイクや車は人生の重要な脇役を務めてくれる大切な相棒なんですね。

HONDA CB50

 バイクに興味を持ったのは小学生の頃、しかし20代になるまで実際に乗ることはなかった。22歳の時、たまたま友人から中古のバイクを引き取ることになったのだ。CB50という原付バイクである。
 あまりのおもしろさにバイクは自分の中でとても重要な存在となった。CB50というバイクは5速マニュアルのスポーツバイクであり、操作は大型となんら変わらない。しかもエンジンは4サイクルでスピードもでる。レースなどにも使われ、時速90kmもの速さを誇ったバイクだ。

 しかし、4サイクルゆえ加速があまりにも悪かった。5速のギアを上手く使いこなせなければ、スクーターにも劣るのだ。当時新しく発売されたRZ50に比べるとそのスタートはまるで話しにならなかった。

 それでも初めてのバイクは、この上もなく大切なものとなって永い間私を楽しませてくれた。技術を磨くため、よく深夜にこっそりと街中を走って練習したものだ。

深夜お巡りさんに声を掛けられる

 ある冬の夜だった。かなり寒いことは覚悟の上で、外にでた。冷え切ったエンジンはキックを使ってもなかなかかかってくれず、僕はバイクを30mほど押して近くの下り坂へ向かった。下り坂を駆け下り、エンジンをかけるのだ。

 いつもなら一度滑り降りるとそれでエンジンが目を覚ますのだが、その時はなぜか3回ほど坂を下ったのにエンジンがかかってくれなかった。50ccとはいえ70kgほどの車重があるバイクを押して坂を上るのは辛い。そんなことも平気だったのはやっぱり若いからだろうなぁ。

 4回目に諦めようかと思いながら坂を押していると、後ろから誰かに声をかけられた。夜1時は回っている時間だ。人の気配などまるで感じていなかったので、飛びあがるほど驚いた。振り返ると二人の警察官がいた。

 「なにやってるの?」意外に穏やかに話しかけてきたのだが、明らかに疑いを持っているようだ。
 「寒いとエンジンかからなくて・・・」僕は事の次第を正直に答えた。納得はしてくれたものの次ぎは当然免許証をだせときた。さらにそばによってきて匂いをかいでは「ならずけの匂いがする」などと言い初めた。飲酒の疑いもかけてきたのだ。

 もちろん酒など一滴も飲んではいない。

ウイリーは楽勝

 4サイクルで瞬発力に欠けるCB50だがウイリーくらい楽勝でできるのだった。と言ってもやろうと思っていつでもできる訳ではないのだ。乗り始めた頃、偶然にウイリーをした事があるのだ。

 スタートでクラッチの放し方が少し乱暴だったのだろう、突然前輪が宙に舞った。初心者としてはそうとう焦る場面だ。こんなときアクセルを戻せばそれで前輪は落ちる。そのまま開けばバイクは立ち上がり後ろか横に転倒となって終わりなのだが、この時は今思い出すと実に笑える。

 ウイリーで前輪があがって僕は後ろへの転倒を恐れ体を前へ倒した、そのとき右手は、つまりアクセルはしっかり握ったままだ。そのせいでアクセルがすこし戻り前輪が下がる。そこで体を元に戻す、つまり後ろに傾ける訳だ。右手を緩める発想がないのでアクセルは握ったまま。

 体の移動で再びアクセルが開き、パワーが掛かると前輪があがる。また体を前傾させ前輪が落ちる。前輪があがったり下がったり、これを数回続けたのだ。本人は必死なのだが、わきで見ていたら笑えたろうなぁ。このテクニックをマスターできていたらウィリーは楽勝だったのに、残念ながら、これでウィリーが怖くなってしまった。

HONDA CM250 / 中型バイクに乗りたい

HONDA CM250 / 中型バイクに乗りたい
 
 CB50は乗りやすく気分のいいバイクだったが、すぐにもっと大きなバイクに乗りたくなってきた。憧れはやはりイージーライダー、ハーレーダビッドソンだ。しかしハタチそこそこでそんな金がある訳もない。

 バイク雑誌を隅から隅まで読み込んで、自分のバイクを探した。安い中古も魅力だがやはりキラキラとした新品が欲しい。免許を取るにもお金がかかる。車検の必要な400ccはあきらめ、250ccのアメリカンタイプに絞る。YAMAHA HONNDA KAWASAKI SUZUKI なんと言ってもKAWASAKIは魅力的だ。その理由はアメリカのハイウェイパトロールのドラマだ。KAWASAKIの1300に乗る姿は憧れだった。それに250CCのLTDというバイクのスタイルは4社中ピカイチだった。

 それでも僕が最後に選んだのはHONNDAのCM250というバイクだった。あまり人気のある車種ではなかったのだが、僕のアメリカンバイクのイメージに一番近かったのかもしれない。

バイクの魔力

 新車は慣らし運転が必要だと言うことはこの時に知った。100kmくらいだったかな、回転数は4000回転くらいしかあげないで走るように言われたのだ。我慢が必要である。それでも十分楽しくて仕事が終わると、夜遅くまでとにかく走った。朝まで走っていることもあったなぁ。

 慣らし運転が終わると心置きなくスピードが出せた。非力な250ccのバイクではあるのだが、それまでの原付バイクとは比較にならない。まるで特別な力を与えられた存在になったような気持ちになる。自分が強く偉大になった気がするのだ。これがバイクの魔力だね。この魔力に負けると事故を起してしまうのだろう。

 右手を軽く回転させるだけで、自分の体が猛烈に前進し、空気を切り裂き風になる。生身の体では絶対ありえないし、箱に入って移動する車とはまるで別の乗り物だ。この快感はなにものにも変えがたい魅力がある。

初めてのツーリング 伊豆半島一周

初めてのツーリング 伊豆半島一周
 このバイクで本当によくツーリングに行った。ほぼ毎週どこかへ出かけたものだ。初めは100kmほどだったかな、毎回少しずつ距離を伸ばし、ある日伊豆半島一周を試みた。

 日帰りでどこかへ行く時、行きも帰りも同じ道であればなんら心配はないのだが、半島一周となると解らないものだなぁ。伊豆半島はもちろん初めてだし、第一まだバイクを買って1ヶ月程度だったと思う。

 相模原から熱海・下田(石廊崎)・土肥・沼津・御殿場・相模原、地図では250kmほどの距離なので、平均40kmなら6時間、朝9時にでて、6時には帰ってこれるだろうと考えて出発した。

 しかし、これは甘かった。6月頃だったと思うのだが、日曜日は渋滞するものだ。バイクとはいえ平均時速40kmを維持はできない。熱海を越えると渋滞は緩和されるが、道が曲がりくねっているので距離がかせげない。時計をみながら心配はするものの、「なんとかなるだろ」ととにかく石廊崎をめざした。

 下田をすぎて国道からはなれ、やっと石廊崎に着いたのはもう4時近かったように思う。疲れてもいたが、伊豆半島南端の岬からみる太平洋はやはり美しかった。来てよかったと思ったものだ。バイクだと本当に「自分で来た」とい実感がある。家の前の道は本当にここまで繋がっているんだなぁ。

 バイクにもどると、さぁここからが大変だった。予定通り西側の北上し、沼津をめざすのだが西伊豆は道が細い上に超ワインディングが続くのだ。やがて日も落ちてくる。右へ左へと曲がる道が何度も何度も繰返し現れる。始めはおもしろかったが、だんだん飽きてくる。

 暗くなり車も少ない。初めての長距離ツーリングでかなり疲れも出てくるのだ。カーブはそれぞれに個性があるので毎回違う感じがするのだが、怖いのが「あれ、さっきのカーブと同じだ・・・」という感覚だ。いけどもいけどもカーブの連続、まるで迷宮の中に迷い込んだような感覚に陥るのだ。「いったい、いつ抜け出せるんだ」そう思い始めると怖くなる。

 沼津に着いたのは8時くらいだったかもしれない。コンビニで腹を満たし、再び走る。日が落ちてからは結構寒かったと思う。寒さは実に体を酷使する。御殿場のあたりでさすがに疲れ果て道路わきで休息をとったのだが、「もう、ツーリングなんかいやだぁ」なんて考えていたのを覚えている。疲れ果てていた。これほどツーリングが疲れるものだとは思わなかったのだ。「バイク置いて帰ろうかな」なんて思ったなぁ。

 やっとのことで自宅へ到着。何時だったかは覚えていないなぁ。とにかくヘトヘトに疲れていたのは忘れられない。

 でも楽しかったんだろうなぁ。その次の週末にもツーリングへ出かけたのだから。